孤独のカートのロクだよ。記事の作成にはAIも使ってる。
よく「なんで辞めたの?」って聞かれるんだよな。
で、「まあいろいろあって」って答えてたんだけど、それ答えになってないから今回ちゃんと書く。誰かのためになるかどうかはわからない。ただ、「同じ構造の中で働いてる人間」には刺さるかもしれないから。
先に言っとく。仕事は嫌いじゃなかった。
これ、最初に言っておかないと話がズレる。
建設業の現場が嫌いだったわけじゃないんだよ。朝早いのも、体がきついのも、雨でも外に出るのも、まあそういうもんだと思ってた。慣れたら気にならないし、体動かして「今日もやりきった」って感覚は嫌いじゃなかった。
むしろ好きな部分もあった。職人的な仕事ってさ、「できる・できない」がはっきりしてるんだよ。上手くなったら上手くなったってわかる。そこは正直やりがいあった。
だから「つらくて辞めた」とか「仕事が合わなかった」って話じゃない。そうじゃないから話が複雑になる。
指導する立場になってから変わった
10年過ぎた頃から、後輩を教える立場になってきた。
そこから「あ、これしんどいな」になってきたんだよな。
何が、って言うと——何言っても伝わらない野郎がいる、ってこと。
技術の話をしてるわけじゃないんだよ。「危ない」「こうしないと怪我する」「チームに迷惑かかる」——そういう話が入らない奴がいる。何回言っても同じミスする。俺が悪いのかと思って言い方を変えても、伝わらない。
これ、「俺の教え方が悪い」で片付けるには無理があった。正直そう思った。
やるほど損する構造に気づいたのが10年過ぎ
技術もついて、後輩も見て、現場のことをひと通りわかってきた。そのタイミングで「あれ、これ全然報われてなくね?」ってなってきた。
やれる奴とやれない奴、対価の差が1日4,000円なんだよ。
それ以上は何やっても上がらない。どれだけ現場回しても、どれだけ責任持って動いても、上限がそこで固定されてる。やれない奴と4,000円しか違わないんだよ。むしろやれる奴に責任が集まるぶん、コスパで言えば逆転してるかもしれない。
「まあこんなもんか」で飲み込めてた時期もあったんだけど、それが10年過ぎてからはだんだん飲み込めなくなってきた。
会社に何回も掛け合った
辞める前に、何回か掛け合った。「この構造、おかしくないか」って。
変わらなかった。
「そういうもんだから」「業界的に仕方ない」——そんな話を何回か聞かされて、「あ、変わる気がないんだな」ってわかった。掛け合ってわかることってそこなんだよな。変えてくれるかどうかじゃなくて、「変える気があるかどうか」がわかる。なかった。
一番許せなかったのはそこじゃない
構造への不満は「まあそういうもんか」で折り合いつけようとしてたんだよ。
でも一番引っかかったのは、「落ちこぼれを出さないために全体の基準を下げる」やり方でね。
できない奴に合わせて、基準を全体で下げる。そうすると「落ちこぼれがいない」ことになる。数字上は綺麗になる。でも実態は、できる奴が底に合わせて動いてるだけだ。
これが許せなかった。
俺が先輩から怒られながら覚えてきたことを、「それじゃ厳しすぎる」って薄めていく方向に動いてた。「できない」じゃなくて「できるようにする」が仕事のはずなんだけど、いつの間にか「基準を下げてできてることにする」になってた。
そっちの方がコストがかからないから。会社的にはそっちが正解なんだよ。でも俺には正解じゃなかった。
結局辞めた
変わらないとわかった。構造も、やり方も、報われ方も。
「好きな仕事なのに、続けるほど損してる気分になる」ってのが積み重なった。これ、消えないんだよな。ある閾値を超えると。
辞めたのは逃げじゃないとは言いたいけど、まあ逃げでもいいや別に。辞めるって判断をしたのは俺だし、それは間違いじゃなかったと思ってる。
「もう少し頑張れば変わったかもしれない」とも正直思わない。あの構造は俺一人が頑張ったところで変わる話じゃなかった。
まぁそんな感じで、これからもよろしく頼むね。


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